環境意見及び活動

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八丈島磯風

kiduppers

八丈島の空調・電設・メンテナンス工事の英電舎

 

環境は身近なところから
パパズインでは微力ですが、出来る限りで島の環境保全には、努力を惜しまないつもりでいます。

環境問題は意識向上です。当然に他の島民の方々との議論なども重要と考えます。
しかし、ペンション経営は、洗剤などで綺麗に部屋を清掃し、
お客様のために美味しい食事を作る努力をするのですから、
それなりの環境負荷も大きく、それは往々にして口先だけの意見になるかも知れません。

私は、自分たちの身近なところから出来るような行動を、と考えています。

例えば、今年になってから始めたアルミの弁当箱です。

我が家は、釣りを始め、ダイビング、サーフィン、のお客様が主で、
特に釣りのお客様は朝が早いので、従来はそんなお客様のために、
お弁当を買っていました。

しかし、そのお弁当は大概プラスチックの容器に入れられラップされています。
それらは、プラスチックゴミとして焼却時には焼却灰を発生させるのです。
それは僅かであっても、無害とはいえない化学物質の残留物です。
そして、まさに塵も積もれば山になるのです。

確かに、早朝の3時頃起きての弁当作りは大変にタフな仕事で、負担もあります。

しかし、このアルミ容器の弁当作りを始めてから、まずは弁当が美味しいと言われること。
そして、その容器を持ち帰らなければならないことから、お客様は、
飲料水の容器(ペットボトルや空き缶)や他のゴミまで、一緒に持ち帰るようになったのです。

もちろん、磯釣りでは磯場にゴミを放置すると波にさらわれ、海洋汚染の元ですし、
燃やすとダイオキシンの発生になります。船釣りなどは船に残すと、
後で海に捨てられたり、また船頭さんがゴミ処理をすることになります。

このアルミの弁当箱を使ってから、船長からも
「パパズインのお客様は、船にゴミを残さないね~」
と言われ胸を張れる気持ちです。

僅かに、人口8500人の島ですが、それでも焼却場のゴミは膨大です。これらは、
市販される弁当のプラスチック容器、マーケットなどに多い発砲容器のトレイ、ラップ、ビニール袋、
などを少なくすることで、かなりのプラスチックゴミを減らす事が出来るはずです。

確かに便利になることで、生活用品は勿論、農業や建築業に使われビニール製品など、
この島の先人達が使わなかったものが、今ではたくさん氾濫しています。

本当に自然豊かな島を望むのであれば、
これらを少しずつでも減らしていくことが大事ではないでしょうか。

パパズインでは、タバコを吸うお客様で釣りに出かけるお客様には、携帯の灰皿を持たせます。
(最もルアーフィッシングなどの若いお客様は、持参する人も多い)

こんな、身近な環境配慮が輪となって広がった時に、真に暮らしやすい島になるのかも知れません。

写真は、昔懐かしいアルミの弁当箱と携帯の灰皿です。

bentou


| http://www.papasinn.com/kankyo/index.php?e=8 |
| パパズインの環境姿勢 | 09:52 AM | comments (x) | trackback (x) |
最終処分場建設の是非は、論点、争点、を明確に
4,105名にも及んだ水海山の最終処分場建設反対の署名活動は、あらためて島民の環境意識の高さを表したようだ。
このことでの、行政の困惑ぶりも想像できるのだが、これも納得のいくような住民への説明が成されていなかったからだろう。

この場合説明責任は行政にある。まして、1組の2転3転するような、その場逃れの説明では、これは建設予定地近隣の住民でなくても、環境への不安を抱く。

ただ、この問題は共の接点を見出し、リスクを共有するところから合意を目指す気持ちがなければ何時までも平行線だろう。そうなれば、建設するにしろしないにしろ、どちらかに大きな不満を残す。

ただ、多くの署名が集まったにしろ、その論点、争点が、私には見えてこない。

署名運動には、その署名をされた方々の意志がある訳で、それは水海山に建設することに反対なのか、最終処分場建設そのものに反対なのか見えてこないのだ。

水海山に建設することに反対なのであれば、そのフィールドにおける水資源を含め環境に危惧しての署名であることはうなずける。しかし、最終処分場建設そのものに反対なのであれば、その争点がずれる。

最終処分場建設に反対なのであれば、国の環境政策そのものに反対と云うことになり、京都議定書からの国の環境施策にまで言及しないと、島レベルでは解決を見ないであろう。

(島外には、この国の環境施策に反対するネットワークもある。最終処分場建設に反対なのであれば、そちらからのアプローチがより国民レベルでの意見になる)

また水海山の水資源や周辺環境配慮から建設反対なのであれば、それは行政の足かせになるような署名運動ではなく、将来を見据えた土地の選定や、環境負荷比較を共に論じる、前向きな論争こそが大事になる。行政と共に環境未来を模索すべきだろう。

いずれにしても、どちらに反対なのか争点の見えない署名運動には大きな違和感を持つ。

では、この署名運動では、署名をした方々に、そういった説明を細かくされたのであろうか?(私にも署名のお誘い?はあったが、そんな説明はなかったし、知人の付き合い程度の話だった)。ただ水海山に建設されることでの環境リスクのみ説明し、署名をお願いしたのであれば、それぞれの思惑がある人付き合いの中では、感じ方に多少のズレがあるのだから、それは非常に理解され難いまま署名をお願いしたjことになる。

何回も言うが、水海山建設に反対なのか、この最終処分場建設そのものに反対なのか、そこで争点が違ってくるだろう。

先日だが、島のメディアである南海タイムスに(島では、この新聞だけが報道と思っている)、八丈島の絶滅危惧種と題して82種がレッドデータブックに記載され、水海山処分場予定地にも生息、自生している可能性が大きいと書かれていた。

もちろん、自然豊かな島であるから当然のことである。それと同時に、この問題は地球規模で危惧され、日本中、世界中で論議されている環境問題だ。さらに、これらの動植物は、島内であれば水海山以外にも同じように生息、自生、の可能性があるのだから、この論争からは少々ズレている。

このことが水海山の処分場建反対に利用するがごとく評されるのであれば、それは大いに嘆かわしい。真に島の環境を考えるのであれば、煽るのことではない。行政と共に論じて、良い方向を見出すことだ。

そして行政側も、時間はリスクだが性急にはならず、ステージを住民側まで降ろし一踏み込んだ意見交換を持っては如何だろう。論議はし尽くすと言うことはない。



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| パパズインの環境姿勢 | 04:21 PM | comments (x) | trackback (x) |
水海山処分場の建設問題に見る環境配慮行動とは
先日環境情報科学論文集 22(Papers on Environmental infomation Science No22,2008) が発表され、その中に注目したい論文がありました。

その論文は、「環境配慮行動の規定要因に関する構造分析」というものですが、これを心理学的観点から、水海山処分場の建設反対の署名運動と併せ、島の環境配慮行動として考えた場合には非常に興味深いものがあります。

要旨は、社会心理学での環境配慮行動の規定要因に係る研究成果に踏まえ、市民を対象に破棄物対策、温暖化対策に関するアンケートを行い、経済学としての問題関心に基ずき、環境配慮行動の規定要因を構造方程式モデルにより明らかにした。
そして、手間、時間、費用などコスト感に基ずく環境配慮行動の抑制が示された。
環境配慮行動に係るいとは、自発性、公共意識、強制力の相互作用により形成、この視点に基ずいた環境政策、環境教育の推進が求められる。と云うものです。

その中で、環境配慮行動(この場合は、環境に対する問題提起や処分場建設に対しての環境リスク意見の啓発と署名活動)は、信念、社会意識、制度から構成される。これにより、知識獲得→関心喚起→意図形成→環境配慮行動と云う基本プロセスの検証と共に、その意識がコスト感を低下させ、それが抑制状況を改善させたと云うことになります。

ここで考えなければならないのは、その知識獲得は環境認知です。環境認知は、環境リスク認知、責任帰属認知、対処有効性認知、であり、それは目的意図や行動意図(たとえば反対署名運動)に変わっていきます。

そして、その理論は、外的情報源→認知→知識→関心、から形成され、そこには危機感、責任感、有効感、、欲求、が根底となるのです。

当然に、反対運動、署名運動を推進する方々の環境配慮運動は、外的情報源から知識獲得をし、啓蒙活動になった訳で、そのコストリスクに抑制されることなく、信念、社会意識、更には危機感、責任感、をもって行動しているわけです。

これは大切なことです。このような処分場の建設問題では、高度な環境行政が求められます。それと同時に、こう云った環境配慮行動が生まれる社会こそが自然であり、その環境政策、環境教育こそが熟成した社会を作り出すのです。

確かに、行政から見れば時間はコストであり、遅れることは大きなリスクです。しかし、議論を重ねることは、それだけ島民の環境意識が高まり、知識獲得からリスク認知が形成される訳で、それら環境知識を培うことは島の将来には悪いことではないはずです。

建設反対の意見にも真摯に耳を傾け、ともに勉強会を開き、環境の意識、知識を共有する。それが真に島民の為の環境行政でしょう。

そして、環境科学に絶対はないのです。いまだに確立された科学分野ではないのです。ですから国の環境行政にも絶対はありません。しかし、行政は国民を、島民を、悪い方向に導く意図など全くないことも事実ですから・・・・・。

更に反対意見にも、ものを申せば、その反対根拠の提示は当然でもあり、単に水海山に建設することがが水源などの汚染、地域の環境破壊として問題なのであれば、その代替え地などにも発展的、建設的な意見をを示し、リスクを共有した意見を述べあってこそ環境配慮行動の参画です。接点のない議論を繰り返すことは社会を利することにはなりません。より高度な解決を模索してこそ、環境時代の大きなモデリングになるのではないでしょうか。

環境リスクは地域の責任、島民としての責任、日本国民としての責任、人間としての責任です。島の環境は地球の環境であり、地域生活の中で幸せを求めるのであれば、それだけの負も背負わなければならないのです。



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| パパズインの環境姿勢 | 04:45 PM | comments (x) | trackback (x) |
管理型最終処分場の話から、もう一言
管理型最終処分場に対して、必要の是非が問題化されているようです。そこで一言。

「時代はエコなので、ごみを処分するのではなく、減量、リサイクル、それが今の時流ではないか?」こんな意見が多いですね。

では、なぜ国の指針として処分場、処理場、なのかお話しします。

まず、環境問題では化学物質の管理問題が大きくクローズアップされています。2002年の化学物質サミットでは「ヨハネスブルグ実施計画」と言うのがあって、「化学物質が、人の健康と環境にもたらす著しい悪影を最小化する方法で使用し、生産、管理、されることを2020年までに達成することを目指す」と記され、これを目指すべく2006年の2月に「国際的な化学物質のための戦略アプローチ(SAICM)」が取りまとめられたのです。

日本でも、これらの動きに対応して化学物質の管理関連の法律が見直され、国の大方の指針と環境省の取り組みが促進されることになったのです。

非常にわかりにくいのですが、こういった会議は1972年の国連人間環境会議(人間環境宣言)から、1992年の国連環境開発会議(UNCED)リオ宣言・アジェンダ21を経て、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」。その後に2006年の「国際化学物質会議」になったのですから、これに対しての国のアプローチは、その國際責任を果たし環境立国として地球環境を主導していきたいのです(洞爺湖サミット成功や国連の常任理事国入りの思惑もあります)。

更に機関はWTO(世界保健機構)、OECD(世界保健機関)、UNEP(国連環境計画)、UNITAR(世界訓練調査研究所)、などなどがあって、さらに政府間の条約があるので、大きな責任を背負わされています。

この中で、わが国の環境指針があり、そこで環境関係の予算配分があって、それに沿った形で環境に対する行政の施策が決まるのです。そして、それが全てうまくいく訳ではありません。

例えば、リサイクル法が施行されましたが、それに対して一般企業の対応はおおむね良好ですが、リサイクル企業はほとんどが赤字状態です。決して上手くいっている訳ではなく、民間レベルでは国の補助でかろうじて存続しているのが現状です。そして、そこにも大きな税金が費やされています。ただ、そんな大きなリスク負っても、この地球レベルでの環境には背を向ける事はできないのです。

こんな話を、今の管理型最終処分場の候補地で紛糾する隣人達(島民)にお話しすることは、それは難しいことではあります。しかし、これが真の世界環境問題の流れであることを理解した上でないと、それは島の将来を見誤る事になるでしょうか。

ただ、これに相反するような意見ですが、一言。。

社団法人・環境情報科学センターの、今回の論文誌の特集は「化学物質の環境安全管理の新たな動き」でした。その巻頭言で、東大名誉教授の安井至先生が「この環境問題で先行するEUとEU外諸国の負の影響、RoHS規制による無鉛はんだ(日本はとうに対応している)のリスクトレードオフの検討、すなわち鉛の毒性に対するリスクと、鉛を使わないための接合不良による火傷や火災のリスク検討を述べ、北欧の政治的主張が本当に人類未来にとって有益なのか?その疑問提起する必要性を訴えていました。

それは、環境活動と経済活動は相反しているようでも、人間生活ではリスクを共有すると云う事です。

このことを考えると、環境問題には絶対はないのだから、お国の指針も絶対ではないと云うことです(世界の流れも、間違った方向に行く可能性もあるわけです)。そして、お互いのリスクを共有しながら検討することが大事で、リスクは負だが、それは人類が平等に共有することで、利にも成りうると云う事です。


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| パパズインの環境姿勢 | 06:48 AM | comments (x) | trackback (x) |
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