環境意見及び活動

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八丈島磯風

kiduppers

八丈島の空調・電設・メンテナンス工事の英電舎

八丈島の管理型最終処分場、その行方。
これは、パパズインの環境活動でとは直接関係ない。ただ、1人の島民として島の将来を考えると、チョッピリ憂いた気分になるので、チョイト独り言。

この議論は、当然に島の環境問題であり、島民の生活に直接かかわりのある問題だから、大いに論じられるのは悪いことではない。私も島民として、また「環境情報科学センター」のメンバーとしても、この問題ではそれなりに意見を持っている。しかし、それを胆略的に述べてしまうのは、この島の狭い社会では難しい。それぞれに、隣人との付き合いもあり、その思惑など見え隠れするのだから、どうして意見なぞ中々言えないのだ。

もちろん、誰もが様々な意見を持つことは自由であり、それは大手を振って発言できるはずだ。しかし、この狭い島で、その意見が大勢の利害に反したりすると、何か「特別な奴」みたいに見られるケースも無いわけではない。
先般だが、汚泥処理センターの建設に関する委員会で、業者の選定に関して(入札)意見を述べたところ、けっこうな反対意見を言われ、自分でもその主旨説明に困りはてた。
なにか、その委員会で自分だけが突出するのももどうか?と云う気持ちになり、「ゆったりと、波風の立たない人生を選んで、島に来たのに・・、今さら何も・・・」的な気分で悩んでしまった。

そんな気持ちから、先日の管理型最終処分場の建設問題、その紛糾を見ると、これを推進する八丈町の環境係、島嶼一組、さらに水海山に建設を反対しているいくつかの団体、そして南海タイムスや七島新聞等ローカル報道機関、それぞれを巻き込んだ問題として憂いが残る。

先日の南海タイムスへの環境係の広告文、それと新聞社編集部の説明文。それらからも、この紛糾と困惑が見えてくる。あくまでも意見の相違ではあるが、その先には島を良くしたいと云う思いがあるのであれば、どこかに接点はあるだろう。
先述したように意見は言うべきだが、その中でもいろんな思惑や個々の付き合い、そんな事情もあるのだから、言いにくいこともある。だからこそ匿名の意見も貴重だろう。誰もが言う権利はある。そして新聞社には新聞社としての使命もある。少数にも真理はあるのだから、意見は意見として公平に扱うのも理だろうか。

私見として本音を述べるとすれば、税金を使い広告文として反論する行政も行政だが、公正な立場で論表しなければならない報道が、広告料を取って行政の反論文を乗せることも一般的ではない。物事に右論左論があるのであれば、私見を捨てて双方の意見を平等に伝えてこそ報道だろう。

今回のことでは、明らかに一組の説明過程にも大きな問題はあった。説明会でも、しどろもどろで勉強不足。町の環境係や住民の方が明らかにこの問題での意識が高かった。そして、この処分場建設に反対意見を持つ人達も、島民として身近な問題なのだから、その知識を広げ、勉強している。それだけに、一組の方たちは、この問題を我がことのように思い、真剣に、親身になって、しっかりした回答を、島民のために示して欲しいと誰もが思ったろう。

最近は説明会に出ていないし、意見を述べていない私だから、この問題を少し斜めで見ているような感じを自分でも持っている。その中で、意見を述べるとすれば、島全体、その子々孫々の未来を考えるならば、いずれ島には必要な施設と云う事だ。
それは、自分たちでゴミ減量の努力をしたとしても、この資源浪費の社会に埋没し、豊かになることを目指し暮らしているならば、近未来その環境リスクは、誰もが負わなければならないと云うことだ(ゴミ減量が無駄とは言ってない)。

この施設の害悪を論じる以前に大事な問題がある。それは、大島の処分場も、ほかの施設も、全ての施設では何れか限界が来る(分担金を払っているとか、いないとか、いっぱいになるとか、まだ何分の一しか埋まっていないとか、そんな次元の問題ではないのだ)。そう考えると、遠い将来かも知れないが、いずれ将来は自分の尻は自分で拭かなければならない時期が来る。それは間違いない事実だ。

最初の候補地調査で多くの税金が費やされたはずだ。また水海山が候補地になり、その調査でも税金が費やされている。さらに、さらに、となればその金銭的なリスクも小さくはないだろう。

論じるられるべきは総論だ。最終処理場を作るリスク(水源の汚染される可能性や地域に対するリスク)。最終処分場を造らないリスク(有害化学物質をどこかに持ち込むか、島内で処理、リサイクルするリスク)。そのリスクの全てを洗い出しコミュニケーションを持つことだ(話し合いはコミュニケーションだが、時間を失うのも大きなリスクの一つだ)。

この問題は、単に地域の問題ではなく、八丈島の問題でもなく、伊豆七島、東京都の問題、日本の問題、大なり小なり世界の問題でもある。だからこそ、高い見地で議論しなければならないはず。ただ反対するだけでは解決しません。また、反対の根拠を示すだけでも解決はしません。そのリスクを共有し、その上で解決させる意志のもとに、話し合ってこそリスクコミュニケーションです。

これら管理型最終処分場、汚泥処理場など、その建設問題は環境問題につながっている。海に囲まれ、自然環境に直結した暮らしの中で、その将来を考えると、この環境問題は避けては通れない。そして、この問題は手を尽くすことが大事で、手をこまねいて見ていることではない。

もうひとつ付け加えると、この環境問題は数学と違い、絶対はない。当然、良いにつけ悪いにつけ、どの意見も真理を目指すが、しかし100パーセントの確証、確実、それは有り得ないのだ。

そして、行政は間違いを犯すことも多いが、しかし大方は良い方向に導こうとしている・・・・・、と、信じたい。



この記事に対して、質問がありましたので私見ですがお答えします。

「世界は、ゴミの減量方向に向かっている。ゴミは処理よりも減量では?。真に島の将来を考えると管理型処分場は必要とは思えない」こんな意見ですが

確かにゴミの減量には賛成です。それは個々の意識を高めることにもなり、熟成した社会ほどその傾向にあることは確かですが、だからと言って減量だけが良い訳ではありません。リサイクルのハイリスクもあり、むしろ追いつかないのが現状です。

環境立国と言われる欧米、日本、などは比較的意識は高いのですが、そういった国ほど行政主導で処分場や処理センターをがしっかり建設されて、管理運営されています。ただ、そんな先進国の中でさえ、イタリア等はそのゴミ処分場の不足で、観光地などは立ちいかなくなっていて大きな問題になっているのです(建設問題に利権が絡んだり、処理にマフェアが絡んで社会問題化している)。

私たち誰もが幸せになる権利を持っています。その為に、テレビを買い替え、洗濯機を買い替え、自動車、パソコン、携帯電話、様々な文明の産んだ器械に埋没しているのです。例えば、テレビ、パソコン、などは、国の規制やメーカーの環境姿勢などで、以前よりも随分と鉛や亜鉛、水銀など、人体に害のあるもの使われなくなりましたが、それでも環境有害物質は多く使われています。それは、家庭レベル、民間の業者レベル、その処理能力をはるかに超えているのです。まして、近々、地デジが始まります。これは島でも、電気屋さんや電設関係の業者さんには喜ばしいことだし、島の産業全体にもにも良い影響を与えるかも知れません。しかし、膨大な量の旧式テレビがゴミとなって出されるでしょう。

更に、リサイクルは理にかなっていますが、このリサイクルでさえ国の助成事業であっても大きなリスクを抱え、人件費のかさむ日本では立ちいかなくなっているのです。これ等の粗大ゴミは個人レベルでリサイクルなど出来るものではないので、結局のところは分解して経費に見合う部分だけリサイクルされ、あとは投棄されるのです。

その他にも、各家庭で当たり前のように使われる化学洗剤の膨大な量。島の農家はそれなりの農薬、防虫剤、除草剤を使います。一般でも当たり前のようにシロアリ駆除剤を使います。それらの処理も、処分場、処理場なくしては立ちいかないのです。

便利を追求するあまり、機械は古くなれば買い替えられます。美味しい野菜や美しい花を作るために農薬は毎年のように撒かれます。それらは使い捨てられ、その薬の残留する空き缶は破棄されているのですから、それは今ですら個人レベルでは解決がつかないのですから、将来を考えると、行政の対応に頼らざるを得ないのが実情ではないでしょうか。まして、これらの有害物質の含まれたゴミは将来に増え続けます(もちろん、何回も言いますが、減量の努力も欠かせないでしょう)。

そんな日常が、気づかないうちにゴミ焼却場では処理しきれないゴミを、我々が作り出しているのですから、そのレベルは一般家庭でごみの減量をするレベルを遥かに超えていて、処分場がない限り増え続けて行くと云う事です(もちろん、そのゴミを他に押し付けるのにも限界があり、お金を払えば済む訳ではないので、これこそが時代に逆行しているかも知れません)。

ゴミの減量を考え、住民意識を高めると同時に、行政での処理場、処分場、その建設が欠かせない。これが、ゴミ環境の世界的な流れだと思います。その中で、処理場を作るリスク、作らないリスク、(何事にもリスクがあり、家電を使うことにも、農薬を使うことにも、ビニールハウスを作ることにも、釣りやダイビングをすることにも)それらを議論することが大事でしょうか

真に島の将来を考えるのであれば、島民であると同時に、東京都レベル、日本レベル、世界レベル、そんな見地に立ち、行政と論議をし尽くし、一体となって、全てのリスクを洗い出し、そのコミュニケーションをとることこそが大事です。

環境問題で最も必要なのはリスクコミュニケーションです。「リスクコミュニケーション」とは、一つの意見を述べたら一つの意見を聞く気持ちです。お互いのリスクだけを述べ、主張だけするだけで、聞く耳を持たないのでは、良い方向を見いだすことができないでしょう。
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| パパズインの環境姿勢 | 03:22 PM | comments (x) | trackback (x) |
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