2010,10,25, Monday
釣りと犬Ⅰ 我が家(パパズイン)にはモモと言う愛嬌モノのメス犬がいた。 中々賢い犬で、我が家を一回でも訪ねたお客様は、 その大きな尻尾をグラインドさせながら愛想を振って迎えに出る。 何しろアイドル犬である。 外での放し飼いだが、けっして我が家のエントランスから出ることはなく、 他の犬や知らない人が目の前を通っても、決して吠えない。 ただ、怪しげな行動をすると吠えることがある。 何時だか、地図を片手に我が家の看板を、いぶかしげに覗く観光客がいた。 私はお客さんと勘違いして迎えに出たが、 モモはやたらに吠えている。「モモ!、吠えるな!」と言いながら「いらっしゃいまっせ」と言うと、 そのお客様は他所に宿泊するお客さまだという。 モモはその態度で判るらしい。 ある日、防波堤で大きなメジナを発見した。 それは太ハリスには見向きもしないが細いハリスだと食ってくる奴で、 それが2~3号のハリスだと簡単に切ってしまう。 それを、ある波の高い時に6号のハリスで釣り上げた。 口元には、切った針が3本もぶら下がり、 餌をタラフク食った体型は驚くほどメタボで、 その憎々しげな面構えはメジナには見えないほど醜悪だった。 我が家に検量に持ち帰り、モモに見せると、 それは「ピュー!」とばかり遁走、裏の駐車場で震えていた。 魚には見えなかったらしい。 釣りと犬Ⅱ 私たちが八丈島に住む以前は、 千葉県市川市の東京湾よりの高層団地に住んでいた。 その、団地の中心にはマーケットなどの商店街があり、 そこの寿司屋さんの前で、ノラ公をやっていたのがモモである。 何しろ、まだ成犬になったばかりだろうか?、 それなのに人一倍の懐っこさで、食べ物を得る為に人間さまに媚を売る。 そして夜になり、人通りが少なくなると、 湾岸道路のガード下あたりのねぐらに帰る。 その頃の私は、 その市川の海辺でシーバス相手に遊ぶ不良のミュージシャンだ。 そして、ポータブルテープレコーダー(スッゴイ懐かしい響きだね~)で、 R&Bやブルース、ジャズの音楽をかき鳴らし、 その辺りを釣り歩く。 そると、必ず顔を出すのがモモだった。 穏やかな日差しの朝、ブルージーな音楽を聴きながら水面にプラグを躍らせる。 その傍らに、まるで僕を主人のようにオーナーレスドッグ寄り添う。 それは、洋画のワンシーンのように見えたかも知れない。 しかし、このモモは魚よりも音楽に興味を示す。 特にブルースハープがお好みのようで、 ジェームスコットン等のハープが聞こえると、 小首をかしげながら聞き入る。 モモは雑種犬だ。 しかし、アメリカ南部にあるコットンフィールドが似合う犬だ。 釣りと犬Ⅲ 市川にある団地に住んでいた頃、 その団地界隈に野良犬が増えたので、 保健所が野犬狩りをする情報が入った。 何しろ、モモは湾岸を根城にしたノラ公だが、 やたら私に懐いている。 保健所につかまって強制収容されては可哀想なので、 2~3日は預かることにした。 何しろ2DKの狭い団地である。 それに、我が家にはダックンというロングヘアーダックスフンドと、 クロという安易な名前の黒猫が同居し安穏とした暮らしをしていた。 其処に、人懐っこいと云っても15キロぐらいの中型犬を連れて来たのだから、 そりゃ波風も立つ。 先輩づらしている彼らに「可哀想だから、2~3日は大目に見てくれ」と頼み込むと 「まあ、玄関口で大人しくしているなら良いだろう」という事になった。 しかし、事はそのままで収まらない。 何しろ、玄関口において私らは別の部屋で眠ると、 寂しいからなのか「ク~ン、ク~ン」と鳴き出す。 ダックンとクロが、「何とかしてくれ~」と冷ややかな目で見るので、 仕方なしに私が布団を抱え、その玄関口で一緒に寝ることになる。 翌朝、目覚めるとモモが布団に入って私に寄り添うように寝ていた。 そして、それからは「一緒に夜を共にしたのだから、 責任とって~」なのである。 結局は、八丈島移住計画の仲間に入れることになった。 釣りと犬Ⅳ 八丈島に連れて来た頃のモモは大変だった。 何しろ、都会のトレンディーなノラ公がいきなりのネイテブな生活である。 野生のイタチや野良猫が多いので、 首輪を外しておくと、それらを追いかけて直ぐに脱走する。 何時かは夢中になって追いかけ、 畑を走り回ったあげくに肥溜めに落ちてしまった。 そりゃ全身が糞だらけで帰って来たのだが、 その強烈な匂いは洗っても簡単には落ちずに、 数週間は抱くことも近づくことも拒絶した。 さすがに上目使いで悲しそうにしていたが、 これも愛嬌だろうか。 そんなモモだが、中々頭が良く理解力もある。 やがては私の許可なしではエントランスから出ることはなくなり、 留守がちの私が帰った時でも、外に出ることなく入り口の階段で待つ。 そして私の顔を舐めまわしながら、 まるで留守の間の出来事を報告するように 「うぉ~、むにゃむにゃ、うぉ~、むにゃむにゃ、」 と話しかけるのだ。 一緒に防波堤で釣りをする。 私が大型の魚を釣り上げた時は、 いかにも得意げにスキップを踏んで走り回る。 何にも釣れないときは、私のそばで四つん這いになりながら、 退屈そうにあくびをする。 そんなモモも、18歳の頃に肝臓病を患ってから少しずつだが老いてきた。 自分から車に飛び乗ることもせず、散歩でも決して走らなくなった。 そして、一緒に防波堤に行くこともなくなっていた。 釣りと犬Ⅴ 20回目の夏を迎えた頃、モモはいつしか寝たきりになっていた。 それでも、私は彼女を抱き抱え草むらでオシッコをさせる。 決してソソウなどする犬ではなかった。 何時も外のベンチで眠るモモだが、 我が家の女房殿があまりにも可哀想に思い、 2階のベットルームで一緒に寝ることにした。 私達のベットの下で、いつも穏やかな寝息を立てながら眠る。 お客様の食事が終わって、 女房殿は2階で洗濯物を畳みながらモモに食事を与える。 一階でパソコンを打っていた私も、 電源を落として2階に上がるとモモが茹でた鳥の笹身をたいらげ、 美味しそうに水をガブガブ飲んでいた。 何事もない夜だった。 翌朝の4時に起きた私は、 昨晩やり残した原稿書きするために一階に降りる。 モモは穏やかな寝息を立てている。 2時間ほどして、女房殿が2階から私を呼んだ。 「あなた~、モモが息をしていないわ~」。 これが愛犬モモの最後だった。 “眠るように逝った”という言葉はあるが、 本当に“眠って逝った”のである。 苦痛の叫びはもちろん、ソソウやオモラシなど一切なかった。 最後まで手を煩わせることなく、静かに静かに逝った。
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| column 大言壮魚 | 11:02 AM | comments (x) | trackback (x) | |