パパのコラム集 column 大言壮魚

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子供の頃の記憶。


子供の頃の記憶Ⅰ

私が始めて竿を持ったのは、
小学校に上がる前だから、昭和25年頃だろうか。

父に連れられて近くの川に行き、小鮒を釣ったのが最初だったと思う。

薄っすらとした記憶だが、父が前日に裏山から竹を切ってきて、
その節を火であぶって真っ直ぐにし、手作りの竿を作ってくれた。

父は、その竿先に1メートル程のタコ糸を縛り、
川に圧し掛かるように生えている桜の木の根元で、
そのタコ糸に細いテグスを縛った。

ウキは萱(カヤ)を5センチほど切り、
その3分の一程に切り込みを入れてテグスを通す。

大事そうに新聞紙に包まった板オモリ取り出し、
テグスの中ほどに結び付ける。

虫ピンを折り曲げて焼きを入れて作った針を、その先に結び付け、
半分に切ったミミズを付けて水面から落とし込むと、その萱のウキが見事に立った。

父は自分の竿を取り出す。

今になって考えると、多分渓流竿のようなものだったろう。

かなりの年代物のようだったが、
子供心に父の竿が高価なものであることは理解できた。

そして、何で自分だけが竹を切った粗末な竿なのか、
不満に思ったものである。

ただ、記憶をたどると、父の竿が高価そうに見えた事とか、
釣りをした場所の桜の木に毛虫がいて気色悪かった事とか覚えているが、
どうも魚の記憶は無い。

多分釣れなかったのだろう。


子供の頃の記憶Ⅱ

父の作ってくれた粗末な竹竿は、
小学生時代には大切な遊び道具だった。

なにしろ、物の無かった時代である。

遊び道具は自分で作るしかない。

そして遊び場は、近くの野山であるから、それはその季節ごとに変わる。

冬は雪深い田舎だから、竹で作った竹スキー。

そして、自分で作ったコマだ。

コマを上手く回転させる為には、バランス良く削らなければならない。
それが難しかった。

春には雪解けで川に流木が流れる。

棒の先に自転車のスポークで作った矢じりを付けて、
その流木に投げて突き刺す。

突き刺して拾った流木は、
せいぜいストーブ用の薪にしかならなかったのだから、
ただ突き刺すのが楽しかったのだろう。

雪解けが終わると、それは釣りである。

4年生ぐらいまでは父の作った釣竿で、野山を釣り歩いた。

それは毎日のように、学校から帰るとカバンを玄関に放り投げ、
近くの畑でミミズを取ってからフナ釣りに出かけた。

勿論、粗末な竿であるから、
それに30センチぐらいの鯉でも食らい付くと、それは大騒ぎ。

あじゃら山というスキー場のある沼で、大きなナマズを掛けた事がある、

その時はさすがにその竿が折れてしまった。



子供の頃の記憶Ⅲ

あじゃら山の沼で竿を折られた事が、相当悔しかった。

その数日後で友人たちと一緒に、その大ナマズに復讐戦を挑む。

友人の鯉竿を借りて、数人で挑み、とうとう私がその大ナマズを釣り上げた。

それから数日後に、父は4.5メートルの渓流竿を買ってくれた。

そして、フナ釣りは卒業である。

それからは、休日ごとに父に連れられ渓流に通うようになる。

何しろ、今は世界遺産にもなっている白神山地近くであるから、
その渓流はヤマメ、イワナの宝庫である。

足に足袋(タビ)を着け、その上から草鞋(ワラジ)を履く。

子供を連れた足であるから、おにぎりを背負い4~5時間も歩いて釣りをした。

特に春から夏にかけてはマムシの多いところだ。

今考えるとゾットする話だ。

釣りでは、母の作ったオニギリに茄子の漬物が定番だった。

そんな粗末な昼食も、汗をかいて歩いた後では最高のごちそう。

焚き木を熾して釣ったヤマメに味噌をつけて串に通して焼く。

これがまた、串ごと持ってかじり付くと、なんとも香ばしくて美味しい。

戦後の、物の無かった時代である。

しかし、身なりは貧しかったが心は豊かだった気がする。



子供の頃の記憶Ⅳ


当時の父は、僻地の教師である。

その為に転校が多く、私たち家族も父と一緒に引っ越しを繰り返した。

其々の学校には教員住宅があって、特に父は校長であった為に、
学校に付属した住宅に住んだ。

学校は大概に小高い丘にあり、
裏には山があり川が流れる。

転校が多かった為に、友達は少なかったが
釣りが出来るので苦にはならなかった。

津軽の野山は冬の訪れが速い。

津軽富士と言われるお岩木山の山頂が、
真白な雪で覆われる頃、裏の川に釣りに行った。

それは麓でもチラチラと雪が舞う寒い日だった。

川に浸って釣りをするのは、さすがに凍える。

そこで熊笹の生えた川沿いに歩きながらポイントを探した。

大きな岩の陰から川面を覗くと、
30センチもあろうかと思われる大きなヤマメが見えた。

釣りたい。

音をたてないように、そっと岩の上に立ち、
其処から竿を出す算段をした。

そして静かに、その岩によじ登り竿を伸ばして後ろを振り返る。

そこから10メートルも離れていない杉林に、大きな黒い影が見えた。

冬眠前でエサを探していた熊である。

ただ、相手は臭攪の優れた動物であるから、
先に私に気が付いたのであろうか、
そのまま杉林に消えて行った。

それは釣りを通して、生涯に忘れることのできない、
恐ろしい出来事であった。



子供の頃の記憶Ⅴ


教師である父は夏休みになると私を連れて実家に帰る。

父の実家は、西津軽の日本海に面した深浦に在る。

もともと網元の旧家だが、
近くには追良瀬川や赤石川と云った鮎の銘川があって、
父は鮎の友釣りの精を出す。

私も一緒に出かけるが、何しろ昔のことだから、
この友釣りの竿は恐ろしく重たい。

小学生の私には持てる代物ではない。

それでも必死になって竿にしがみ付くものだから、
大人から見ると可愛く見えるらしく、皆にからかわれた。

いつだか、この父の鮎竿を持ち出して川に行った。

オトリのアユも着けずに、仕掛けを流した。

しかし、あまりの重さと急な流れで、石に足を取られすっ転んでしまった。

そして、大変なことに大切な父の竿が、私の手から離れてしまう。

それは、急流から深みに流れて沈み込み、
もう子供の私では見つけ出す事も出来ない。

私は泣きながらびしょ濡れで家に帰った。

てっきり怒られると思っていた。

しかし、その日の夕方に親戚中の男が集まって、その深みに落ちた竿を捜し出した。

そして、実家で待ちわびている私の所に、その竿を担いでやってきた。

それは、始めて大人を尊敬した瞬間かもしれない。

そして、それが私をアユ釣りの虜にするキッカケであったろう。

釣り師パパ大津留の原点である。



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| column 大言壮魚 | 05:43 AM | comments (x) | trackback (x) |
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