パパのコラム集 column 大言壮魚

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釣りの品格2
Ⅵ、釣りの品格(スポーツの定義)

「釣りはスポーツである」と云う話は、釣りのルールを語るときには述べられる言葉だ。

しかし「スポーツフィッシング」と云う言葉はあっても、
これは釣り人側が発する言葉で、
一般社会では釣りをスポーツとしての認知していないだろう。

例えば、各種の釣り大会、釣りのトーナメントが、
スポーツ番組で報道された事はないだろう。

これが社会の釣りにたいする認識なのだろう。

それでは、スポーツの定義は何だろうか?その起源から考えてみると、
スポーツの起源は「狩猟」と「戦(争い)」と言われる。

「狩猟」と「戦」は類似するのだが、
「戦」がルールを持ってスポーツ化されたものが(特に個人技)格闘系スポーツであり、
代表的なものがレスリングやボクシング、柔道、空手、であり世界中に存在する。

「狩猟」の場合も「戦」に共通するものも多いが、
やり投げや砲丸投げ、円盤投げ、などの投擲系個人技。

また、アーチェリーや射撃のような射的系個人技。

そして、集団で獲物を追いかけたクロケットやホッケー系、
其処からボールを使うようになった、サッカー、野球、ラグビーなどの団体球技系だろう。

水泳なども、本来は水中での「戦」が起源と云うから、
他人と争うという人間の性(サガ)がルールを作りスポーツになったともいえる。

人間は、ホモ・サピエンス[英知人]「賢いヒト・考えるヒト」と言われるので、
サガからの争いを避ける人間の英知がスポーツを生んだ事になる。



Ⅶ、釣りの品格(釣りとスポーツの違い)

釣りも狩猟と同種のものである。

しかし、狩りを起源とする他のスポーツに比べ、
釣りがスポーツとして社会認知されないのは、
国際的なルールが無いからとも思われる。

しかし、ここには決定的な違いがある。

それは、いまだに行われる狩猟だが、
その対象になる獣類、鳥類が、
今では人間の食料確保の存在ではないと云う事だ。

その多くは、希少種であり、人間社会での食料ではなくなっている。

ほとんどの食肉は、豚、牛、鳥であり、
それは家畜類として畜産されているのだ。

では、釣りの対象になる魚はどうだろう。

そのほとんどは、未だに漁業として様々な魚種が世界中で漁獲され
、養殖魚(畜産)は総漁獲数の10パーセントにも満たないのだ。

狩猟は、その対象が無くなったことで、
様々なスポーツの進化過程として、
否が応なしにルール化されてきた。

釣りは、その対象である魚が豊かに現存する(確実に減ってはいるが)。

そのために、スポーツ的な進化を遂げていないのではないだろうか。



Ⅷ、釣りの品格(資源と文化)

欧米文化の多くは、狩猟文化から発展した牧畜文化であろうか。

牧畜文化が食肉を生み、乳業を生み、衣料を生んだ。

その発展が産業革命を生み機械産業の発展と石油化学製品を生んだと言われる。

日本人は、四方が海に囲まれた島国である。

しかし、本来は農耕民族と言われ、
当然にその文化は、米などの穀物、野菜、魚が中心の食文化であり、
衣料は蚕からの絹織物や麻を摘んだ麻織物などの繊維織物である。


農耕から生まれた文化は、年々の自然の恩恵を繰り返し受ける。

自然災害などの影響は受けるが、自然そのものが存在する限り、
人の手で栽培を繰り返し行う事が出来る。

牧畜からの畜産などもそうだが、狩猟はキャパを超えると食いつぶす。

アメリカのバッファローを始め、多くの野生動物は狩りによって失われた。

その中で、多くの物質がクロスオーバーして流通する現代だ。

世界の4分の一の人口を抱える中国の、
その内陸部でさえマグロ、カツオの海産物を消費する時代だから、
バッファローの二の舞を心配するのは欧米人だけでは無い。

そんな社会環境の中で釣りを行われている。

いさかい(戦争)のあるところでは釣りと云うレジャーは成り難い。

それだけに釣り文化は平和の象徴だが、
それでも資源を食いつぶすレジャーに対して、
世間が厳しい目を向けるのは自然の成り行きだろうか。



Ⅸ、釣りの品格(海洋資源の将来)

釣りの将来像は資源のありように掛っている。

マグロの総量規制は勿論だが、
毎年3万トン以上を漁獲している中西部太平洋のメバチマグロも、
総漁獲量を25%削減するように勧告された。

これは、マグロの資源を管理する国際機関のシミュレーションで、
この漁獲が続けば15年以降で極端な資源枯渇が起こると指摘されているからだ。

しかし、その最中にクロマグロが2006年の全漁獲枠32,000tに対して
20,000t以上も不正漁業が横行しているとの指摘がなされる。

これは、国際的な漁業規制があっても資源の枯渇が止まらないと云う事だ。

先の環境サミットでもそうだが、不惑の将来像が見えても、
其々の国の思惑、地区の思惑、個人の思惑が絡まって対策が追い付かないと云う事になる。

そして、資源以上の漁獲に加え温暖化などの環境悪化もある。

それは、我々釣りを愛するアングラーが、
その対象となる魚を獲る事が出来なくなる可能性もあると云う事になる。

釣りが、狩猟と同じ道をたどる。

投げ釣りやキャスティングゲームは、的に向かうシューテングゲームに変り、
他の釣りはゲーム機上での遊びか、釣り堀でしか遊べなくなる。

少々深刻に考え過ぎだが、
いずれにしても、釣りが文化としての品格を問われる時代になっている。




Ⅹ、釣りの品格(楽しい釣り)


環境時代であるから、釣りに対して社会の目が厳しくなっているだろうか。

しかし、何があったって釣りは楽しい。

断然楽しい。

そして、私はこの釣りを止める事が出来ない。

だからこそ、釣りの楽しさを知らない人は不幸だと思うし、
そんな連中に釣りの楽しさを教えたい。

まあ、感じ方には個人差があるから、同じような釣りして、
同じように魚を釣っても、全く喜ばない人もいるだろう。

だからこそ、何かを伝えるには品格が大事なのかも知れない。

釣りの品格は、大きい魚を釣る事でもない。

厳格なルールの基に、それを守る事でもない。

法的に規制されている以外は、「魚を獲ってきてはいけない!」とか、
「獲った魚を食べちゃいけない!」とか、「小さいから逃がせ!」とか、
そんな言葉ではない。

その意見には個人差があるからだ。

私だって子供の頃は、小さい魚も持ち帰って自慢したし、
ビギナーの頃はたくさん釣って美味しく食べた。

自慢したって良いじゃあないか。

言いふらしたって良いじゃあないか。

それが釣りだろう。

そして、釣りの品格とは、そこから培われた愛情だ。

それは、魚に対して、人間に対して、自然に対して。

そして品格は、釣りをしている姿に現れる。

その愛情が、品格として、その姿に現れるのが釣りだ。




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| column 大言壮魚 | 09:01 AM | comments (x) | trackback (x) |
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