パパのコラム集 column 大言壮魚

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釣りの品格

Ⅰ、釣りの品格「品格とは?」


2006年に藤原正彦書の『国家の品格』(新潮新書)や、
坂東眞理子著『女性の品格』(PHP新書)、
ドラマ『ハケンの品格』がヒットし、
注目されたことで、その年の新語・流行語大賞が「品格」という言葉になった。

この品格とか品位という言葉は、釣りにも当てはまるような気もするが、
なかなか抽象的だ。

具体的ではないだけに、法律で規制されるものや、
一般的なルールとは違う。

いささか精神的な意味合いもあるだろう。

私は、なんとなく「キレイ」という言葉を使う。

「奴はキレイな釣りをするね~」なんて言いまわしは、
あくまでも「きれい」でもなければ「綺麗」でもない。

片仮名で「キレイ」と書くのが適当で、そのあたりが更に抽象的だ。

「綺麗な釣り」と書くと、美しく流れるようなフォームとか、
姿かたちを連想するが、
「キレイな釣り」というと少々意味合いが違う。

それは、私の独りよがりで「何でそんなに難しく考えるんだ~」と言われそうだ。

しかし、高々遊びの釣りだからこそ、こんな事でも深く考えてみるのと面白い。

「キレイな釣りをするね~」「見事な釣りをするね~」
「上手な釣りをするね~」「柔らかい釣りをするね~」
「楽しい釣りをするね~」いずれも、釣りの評価の表現になるが、
品格を感じるのはどんな釣りだろうか。




Ⅱ、釣りの品格「品格と文化」


「釣りは文化」と言う人も多い。

確かに文化は歴史から見えてくる。

日本では神代の昔から釣りが存在し、海彦山彦の神話から、
鯛を抱えた恵比寿さまや浦島太郎の話まで、
それが日本人のアイデンティティーを作り上げてきた。

今、世界の食を席巻する和食文化。

それは島国ニッポンの釣り文化が作りあげたと言って過言ではないのだ。

釣りは、魚種によって多くの種類はあるのだが、
これを文化として別けた場合は2種類だろうか。

それは、古来の伝統的な釣りと、欧米から持ち込まれたものになる。

もっとも、古来の文化は中国の影響も少なくないのだが、やはり日本の釣りは、
海洋民族と云う土壌から熟成された独特のものだろう。

そう考えると、日本の釣り文化と欧米の釣り文化は、
確かに類似点はあるが、明らかな違いはある。

それは、釣り竿など道具の違いもあるが、
食文化が魚中心と言う、魚に対してのアイデンティティーの違いだ。

釣った魚を、供え物として神にささげ、それを丁寧に食す。

その作法を大事にするのが日本人の釣り文化であり、
その精神性は崇高とも言える。

また、魚を資源の一部と考え、その資源保護の観点からルールを作り、
キャッチ&リリース中心のゲームとして確立されたのが欧米の釣り文化であり、
その環境姿勢は評価されるべきものだ。

違いはあっても、どちらの釣りにも品格はある。




Ⅲ、釣りの品格「規則とマナー」


品格とは培われたものだろうか。

それはマナーにも通じるが、若干に意味合いは違う。

それは、規則などに縛られるものではなく、
あくまでも精神的な思想に近い。

しかし、マナーの場合は社会の一般的な常識から言われるが、
さらに規則や規制は法律的な意味合いが強い。

それはフィールド(地域)のルールとして制約を受けることになる。

私は東京都の海面利用協議会の委員を務めている。

それは、東京都における漁業者と、
海レクレーション愛好家(釣りやダイビングなど海のレジャー)との、
諸問題を協議する機関だ。

その中でルール的な事を取り決めるが、
これは法律に準じた制約であり、
品格や作法とは明らかに違う状況で論議する。

確かに、この会議で必ずと言って話されるのは、
釣り人、ダイビング、ジェットスキーなど、海のレジャー愛好家のマナーだが、
それは漁業者の利益を阻害する行為とか、
事故に関連した危険行為に対しては議題に乗るが、
釣り場のゴミ問題などのマナーは協議対象になり難い。

一般的には、規則もマナーもヒト括りにされるが、
漁業者や地権者の既得権を守ることから規則や規制が生まれる事も多いが、
しかしマナーは社会通念として語られることが多い。

事故や犯罪などが無い限りは中々規則化されないので、
このあたりは少々のズレを感じる。

規則に品格は要らないと云う事だ(ふ~む!)。




Ⅳ、釣りの品格「規則とルール」


釣りの場合、規則とルールは関連深いのだが、
規則の場合はその地域での法的な制約を受ける。

しかし、ルールの場合は必ずしも公共で決められるとは限らず、
個々に違いがある。

例えば、釣り団体のルールとか大会ルールとか、
その釣り場のルールなんてのもあるだろう。

JGFA(ジャパン・ゲームフィッシング・アソシエーション)と云うのがあって、
これの上部組織がIGFAだ。

このインターナショナルな釣りの組織は、
ワールドレコードなどを認定する団体が、
その場合に細かくルールが決められていて、
それをラインクラスごとに分けられている。

しかし、このルールも一般的に強制している訳ではなく、
この団体の認定する記録申請に必要なものだ。

他にはゲームフィッシングとして、特に欧米では主導的な団体であるから、
資源保護の意識が高い。

タグ&リリース、キャッチ&リリース、バックリミット、など、
資源保護の観点からのリール作りを提唱しているので、
思想的な意味合いが大きいだろうか。

いずれにしても、このような団体のルールは法的な強制力を持たないが、
考え方として啓蒙していくことが大事ではなかろうか。




Ⅴ、釣りの品格「ルールとこだわり」


私は、JGFAという組織の中にいて、
その啓蒙活動の一環としてフィシングショーなどでのトークショーを行う事が多い。

勿論、海洋環境の話をする事もあれば、
その中でルールの重要性を話すこともある。

それは個人的な思想なのだから、
あくまでも意見であり押しつけではない。

まして、伝統的な文化を持つ釣りの場合には、
釣った魚を美味しく食べるのも文化であり、日本人のアイデンティティーだ。

食べきれないほど大量に釣ったり、
釣った魚を売り買いするようなのは論外だが、
家族の胃袋サイズをお土産にしたり、
自分がステータスを持てるようなサイズを持ち帰るのは許されるだろう。

種類や個々の経験で喜ぶサイズは違うが、
「釣り自慢」「釣り天狗」と云う言葉があるように、
持ち帰って自慢するのは楽しいものだ。

それを、イチイチ「あんなチッサイ魚を持ち帰って!」なんて目くじら立てるのも大人気ない。

それでは、せっかくの環境姿勢も説得力を持たない。

自分の経験や記録も大事だが、他人の釣った自慢話に拍手喝采できるのも良いだろう。

その魚が10センチ20センチと大きくなっていったところで、それが釣りの楽しさでもある。

ルールは必要だが、絶対ではない。こだわる事はないだろう。




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| column 大言壮魚 | 11:22 AM | comments (x) | trackback (x) |
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